人はごはんを無限に食べることができるかも - higepon blogを読んで。
へたれながらも学部時代に哲学をやっていた僕がベタというか教科書通りのことを書かせていただきます。
これは哲学(というか論理学?)の分野でソリテス(sorites)と言われているパラドックスで、けっしてローカルネタとかではなく、哲学(もしくは論理学)の入門書とかにはよく出てくるお話のことだと思います。
ご飯の例以外だと、ハゲの例がよくあげられます。

髪の毛が100000本の人はハゲではない
髪の毛が99999本の人はハゲではない

髪の毛が2本の人はハゲではない
髪の毛が1本の人はハゲではない
髪の毛が0本の人はハゲではない

こんな感じで。*1

でこれのどこがおかしいかというと、ハゲという状態の定義がはっきりなされていなく曖昧であるというのが問題である、というのが教科書的な答えです。*2お腹がいっぱいというのも同様です。
僕個人としてもそれで問題ないお話だと思ってます。ここからは決して数学的帰納法がおかしいとかそんな結論はありえないです*3

#追記

論理学をつくる

論理学をつくる

をみてみたら、髪が0本の人はハゲである、という命題から、髪が1000000本の人はハゲであるという命題への推論の例をあげていました。*4
で、そこからファジー論理へつなげてました。ここでは、この推論を連鎖推論のパラドクス(sorites paradox)とか曖昧性のパラドクス(paradox of vagueness) というように紹介してました。
(次にさらに追記があります)

*1:間違ってないかぐぐってたらこれの逆バージョンも存在するっぽいです。つまり0本はハゲから何本髪が生えていてもハゲということを言う例です。

*2:50001本以上ならフサフサで、50000本以下ならハゲとか言えませんので。

*3:もちろんid:higeponさんはそんなことおっしゃってません。

*4:p.287

さらに追記です。
じゃあファジー論理はこの連鎖推論のパラドクスをどのようにして、解決しているのかというお話です*1。以下理解が怪しいなりに自分の読んだことを書いてみます。

ファジー論理では、真理値が1か0ではありません。
ここで、先ほどの例とはちょっと変えて(というかこっちのほうが一般的っぽいので)

髪の毛が0本の人はハゲである
髪の毛が1本の人はハゲである

髪の毛が999999本の人はハゲである
髪の毛が1000000本の人はハゲである

という例を考え、ハゲであるという関数Hage(x)に対する真理値をファジーにとってみると

Hage(0本) = 1
Hage(1本) = 0.99

Hage(999999本) = 0.02
Hage(1000000本) = 0.01

とおけるとして考えてみます。*2
ここで、ファジー論理では、真理値が低いものから真理値が低いものは導くことができない、という話がでてきます。
つまり、Hage(0本)ならばHage(1本)という命題がなりたたないということです。*3
(いいかえるならば、髪の毛が0本の人がハゲであるという命題から、髪の毛が1本の人はハゲであるということが言えないということです。)
故に、連鎖推論のパラドクスは成り立たないということになります。

と、書いてみましたが、ちょっとわかりにくい書き方かつ自分の理解が怪しいかもしれないので、気がついたかたは指摘していただけるとありがたいです…。

*1:これは『論理学をつくる』のpp.289〜291あたりです

*2:ようするにここではハゲ度合いっていうことでいいと思います

*3:ファジーではない論理、つまり、真か偽どちらかはっきり決まる2値論理でいう偽な命題から真な命題が導けないということの拡張として考えていいと思います。前提が偽ならその推論は誤っているということです。